食育キーパーソン

水産業界への恩返し、楽しく盛り上げたい

おさかなコーディネーターとして様々な魚関係のイベントに関わる他、さかな好きが集う「さかなの会」を主宰、株式会社さかなプロダクション代表取締役、東京海洋大学非常勤講師など多方面で活躍するながさきさん。食育の観点から学校給食が取り組む郷土料理や地場産物の活用は、日本人が伝統的に受け継いできた魚食の文化に繋がるもので、大量流通・消費される漁業とのバランスをとるうえで大切にしてほしいと語る。

ながさき一生(ナガサキ イッキ)

ながさき一生(ナガサキ イッキ)

1984年、新潟県糸魚川市生まれ。2007年東京海洋大学卒業後、築地市場の卸売会社に勤務、同大学院で修士取得。2010年から大手ICT企業で勤務。一方2006年から、水産庁の「浜の応援団」でもある「さかなの会」を主宰し、魚に関するイベントを多数開催。参加者は延べ1000人を超える。活動10年目の2016年には著書『五種盛りより三種盛りを頼め~外食で美味しくて安全な魚を食べる方法』(秀和システム)を出版。テレビ・雑誌・新聞・ラジオ、Webメディア等に取り上げられる。

Q:新潟県の漁村で生まれ育ち、魚は身近だったわけですね。

糸魚川市の海沿いにある筒石という漁村で、実家は祖父・父も代々続いた漁師。私も3歳ごろから祖父母と浜へ行き、漁の仕分けを手伝いながら魚の名前や数字を覚えてしまいました。保育園で出されたおやつが煮干しとスキムミルクで、子供だったので余りうれしくなかった記憶があります。
学校給食で地域ならではだったのはニギスのつみれ汁で、どこの家庭でもよく作られていた郷土料理です。海まで徒歩圏内にある学校だったので日常的に釣りや磯遊びをしていた他、つかまえた生き物を教室の水槽で育てたり、学校行事で地曳き網や鮭の稚魚の放流を行ったりと、海や魚は身近でした。

Q:魚に関わる仕事に就くきっかけは何でしたか。

高校で将来の進路を考えた時、最初の希望は音大でした。その後、心理学や文科系方面に興味をおぼえたのですが、成績は理科系の方が良かったため大学選びでは選択の幅が限られました。最終的に東京海洋大学に入学できたのですが、初めから魚関係志望だったわけではありません。
大学3年次に職業を考えた頃、漠然とですが心に浮かんだのが魚や漁業への「恩返しをしたい」という思いで、水産業界を盛り上げたいと考えました。また、そのころ読んだ、青色LEDの発明でノーベル賞を受賞した中村修二さんが書かれた本から知的財産や特許の重要性に気付かされました。そして、当時始まった地域ブランドの話題などと共に水産業界の発展に活かせるのではないかと考え、これを研究テーマにすることに決めたのです。

Q:さかな文化祭をはじめ多くの子どもとの触れ合いから何を感じますか。

様々なイベントや講演の場では、魚をさばく実演をしたり漁業や魚食に関する話をしたりと、魚の魅力を伝える活動をしています。子どもの魚離れ、魚嫌いを耳にしますが、多くの子どもは魚を嫌っていません、魚に触れられるイベントはいつも大人気です。最初は「臭い」、「気持ち悪い」と言っていた子どもでも、慣れてくると楽しんで進んで触っています。
学生時代に塾講師をしていた経験から子どもには、教え込むより自分で気づくよう楽しませることが大切だと思います。子どもには、大人が真面目に教えようとしたことは余り残らない、それより楽しかったことの方を良く覚えているものです。
極端な話では、自分で魚を釣り、丸ごと一匹をさばいて食べる体験をした子供には魚好きが多いです。釣れれば心の底から達成感が得られます。また、自分で捕ってさばいて食べるという生きるための最も本質的な行動には、人間の本能として、心の底から楽しいと思えるようなものがあるように思います。

Q:子どもの魚離れの心配はありませんか。

魚離れについては、食べないことより魚や漁業への関心が薄れることが心配で、将来的に日本の魚食文化の衰退につながらないかと危惧します。今日の日本の魚食には、大きく2つの流れがあり、魚食文化を守るには皆が関心を持ち2つのバランスをとることが大切です。
一方に養殖や冷凍技術の発達、輸入等で季節に関わりなく大量に流通・消費される、サーモンやエビなどを代表とした大量少品種の魚たち。もう一方に、季節や地域に応じて漁獲される少量多品種の魚があるのですが、現在は大量少品種の流通・消費に偏り過ぎています。日本人の魚食文化を守るためにはどちらか一方に偏っては一方が衰退します。どちらも必要だと思うのです。
現在は学校給食の食材として地場産物を積極的に活用したり、地域の学習とからめて郷土料理を献立に取入れたりといった取組がみられますが、少量多品種の魚の流通・消費にもつながる良い傾向なので、増えていってほしいですね。